ざわめく闇
夜明けに近い時間のせいか、廊下に人気はなかった。
廊下は四方をすべて壁に囲まれ、時刻を知る術は時計にしかないように思えた。
そこに少年と男がやや足早に歩いてくる。
「砂漠には『虎』がいる。」
「虎?」
「反対勢力の活動が活発なアフリカ砂漠地帯において、虎はその強力な爪でその勢力を押さえつけ、プラントを優勢にしている。」
「僕たちをそこへ?見習いなのに隊が変わるんですか?」
少年は訝しげに男を見上げた。
男の口元は変わらず、仮面に覆われたところはいうまでもない。
さらりと少々長い金髪がその残像を残し、殺風景な廊下に華を添えたようだった。
「見習だからこそ、『虎』のもとで体験も大切だろう。
君たちならそう足手まといにはならないだろうし。私も共に行くが、砂漠での指揮はあちらに任せる。」
「プラントの人手不足は深刻だと思いましたが_____貴方ほどの軍人が単に兵士として動く、と?」
慎重に言葉を選びながら、少年は探るような瞳を向けた。
歩みを止めずに男は紫電の瞳を見返した。どこかその仕草には他の者と対するときとは違う雰囲気が漂う。
「賢い子供は好きだよ。けれど、推測は推測で止めておきたまえ。邪推まではするものではないよ。」
「そうですか?可能な限り最善と最悪の推測をしておくのが軍人だと心得ておりますが。」
「やれやれ、君も口が達者なことだ。」
「どうも。」
「だが、君が私に噛み付く時間はそう残されていないと思うがね。」
「?どういう・・・・・・」
少年が眉根をひそめた途端、男がぴたりと止まった。
本当に突然だったので、少年は男が綺麗にぴたりと止まったのに対して、ややバランスを崩す。
「もう少しで分かる。____ここで別れよう。私はこちらに用がある。君は先に集合場所にいきたまえ。」
さっさとそれだけを言うと、男は少年に背を向けて集合場所とは反対方向へと去っていった。
少年は口に手を当てて、今言われたことを反芻したが、あまり心当りはなかった。
(でも、砂漠の『虎』・・・・・・何か引っかかるな・・・・・・)
ちょうどその頃、紅を纏う軍人が三人、同様に夜明けの廊下を歩いていた。
少年が二人に少女が一人。
少女が前方に何かを見つけたらしく、声を上げた。
「あの人ってアスラン・ザラじゃない?」
「そうみたいだな。」
「ルナマリアも好きだな。」
アスランを見つけて、目を生き生きと輝かせるルナマリアにシンは興味なさそうにそう言った。むしろシンは不機嫌そうにアスランを睨みつけている。
レイもまた、興味はそこまでなさそうだった。
シンの方の反応には少しルナマリアも窺うかのようだったが、雰囲気を盛り上げるかのようにルナマリアは二人の様子にわざとふてくされた様子で抗議する。
「何よぉ、いいじゃない。」
「噂とか好きだよな・・・・・・ミーハーっていうか・・・・・・」
「私は芸能人なんか追っかけないわよ。」
ルナマリアはシンをねめつけたが、それにシンは肩をすくめただけだった。
アスランからは目を逸らし、面倒くさそうに答える。
「その代わりになんか軍人の噂とか噂の人とか好きじゃん。」
「・・・・・・身近だと気になるじゃない。」
「身近?」
シンは首を傾げたが、ルナマリアはふとアスランと視線が合ってもはやシンとの会話を放棄した。
視線の合ったアスランが三人の制服に気付いて、目を見開く。
どうやら、まだ情報は伝わっていないようだった。
ルナマリアはここぞとばかりにアスランに近寄っていき、その後ろにレイが続く。
一応少しの差とはいえ、先輩だ。
挨拶ぐらいはしないとまずいだろう。
シンだけはそこに立ったまま、憮然としていた。その様子にレイは瞳の色を濃くしたが、何も言わなかった。
「初めまして。アスラン・ザラさんですよね?」
「ああ、そうだが・・・・・・君は?」
「ルナマリア・ホークです。以後お見知りおきを。」
「あ・・・・・・ああ」
キラがなんとなく気になって、アスランは集合場所に早くついてしまった。
まだキラもイザ―クたちも来ていない。
ため息を吐いたところへ、三人の足音に気付いて目を向けると、ルナマリアが声をかけてきたのだった。
父親が最高議会の議長のため、息子の顔が知れているのはよくあり、こういう反応は慣れていた。
だが、何故か好意的なルナマリアに押され気味に答えていると、向こうからキラがやってくるのが見えた。
本人は気付いていないが、アスランはその瞳を輝かせた。
「キラっ」
キラはアスランの声に我に帰ると、アスランに向かって微笑んだ。
ふと、その横に見知らぬ少女と少年がいるのに気付いた。
首を傾げながら、アスランに近寄ると、黒髪の少年が睨んできた。その眼力に少し驚きながらも、アスランに話しかける。
「おはよう。・・・・・えっと・・・・・・」
キラは少したじろぐ。
アスランの側にいた少女もまたキラを少々不快そうな瞳で見ていたのだ。
こっちは顔も知らないのに、どうして彼らは睨むのだろうかとキラは苦笑いをする。
そんなキラにルナマリアはす、と手を差し出した。
「クルーゼ隊に紅を纏う女の子がいるなんて知りませんでした。
女同士、よろしくお願いします。」
どうにも事務的な口調であったが、それでキラは事態を把握した。どうやらアスランに好意を持つ少女に嫉妬のような思いをもたれていたようだ。
握手を返しながら、微笑んで言う。
「僕は男です。」
「え?女の子じゃない?」
ルナマリアはびっくりした表情をその顔に浮べた。
そうすると挑戦的だった顔は歳相応の少女の顔だった。
「・・・・・・僕、キラ。キラ・ヤマトっていうんだ。よろしくね。」
最初の間はおそらく、そこまで女に見えるのかという男としての複雑な気持ちだろう。
だが、ふんわりと笑うその顔は女の子と言われても納得できるものだった。
「キラ・ヤマト?
___ってもしかして私たちの前の卒業生じゃないですか?
あの、全教科満点を叩き出したっていう・・・・・・
私たちの中ではもう伝説になってますよ。」
「満点だなんて、誇張だよ。多少ミスだってしたし。」
「なら、言い換えますけど、満点に限りなく近かったそうじゃないですか。
私たちの教官が噂しているのを聞きました。
なんでも士官学校始まって以来の卒業得点だったとか。」
「いや、だからそれは誇張されてるんだと思うんだけど・・・・・・」
「まぁ、一緒にいれば、わかることだと思いますけど?」
「・・・・・・」
どうにも会話がかみ合ってない。
ルナマリアは一方的にまくし立てた後、にっこりと挑戦的に笑った。
何か自分はしたのだろうか、とキラが思いをめぐらしていたときにふと、突き刺さる視線が気になった。
振り返ると、そこには黒髪、赤瞳のなんとも色彩が印象的な少年。
「君たちは一体どうしてここに?」
アスランの声にシンの瞳がキラから逸らされた。
キラはその隣のレイに今度は視線を向けると、目が合ったレイは軽く会釈をした。
紅い制服を纏った軍人はおよそ2年の見習を経て、色々な役所につく。
紅い制服はエリートとして士官学校を出たものだけが着るもので、二年の経験をつんだ後、能力に応じて様々なところに配役されるのである。
仮面の男は紅を纏う部下を見て、言った。
口元の微笑は穏やかと表現するよりも腹に一物ありそうな様子だと表現したほうが良さそうだ。
「彼らは欠員補充だ。三人とも君たちより1つ年下で、ギュレット隊にいたのだが、今回隊長が殉死したために副官タリア・グラディスと共に私の下に入ることになった。」
金髪青眼のレイ・ザ・バレル。
黒髪赤目のシン・アスカ。
赤髪青眼のルナマリア・ホーク。
「これから我々は脚付を追って地球の砂漠に降りる。
そこには君らも知っていると思うが、砂漠の虎こと、アンドリュー・バルドフェルド隊長がいる。
我々は脚付だけを目標にしているために、本来ならば彼らが地元のレジスタンスを抑え、我々が脚付を破壊するはずだが、上から我々は今回バルドフェルド隊長の指揮下に入れとのことだ。」
「隊長も、ですか?」
「私は今回は君たちのバックアップに当たることになるだろう。
なんでも砂漠は慣れぬものにとっては魔の領域と言われている。そこを配慮しての采配だそうだ。
以上、このまま我々はヴェサリウスに乗艦、砂漠へ向かう。」
「はい!」
********
ヴェサリウス乗艦後、格納庫でのことだった。
シンが側にいたディアッカとイザークに尋ねたことがきっかけだった。
「ヘリオポリスを崩壊させたと聞いたけど?」
「・・・・・・ああ」
あのときのことを思い出したのか、ディアッカが珍しく視線を宙に浮かせて言った。
「___っっやっぱり、お前らが・・・・・・」
「シン!!」
レイがシンを諌めるように名を呼ぶ。
シンはその紅い目を燃え上がらせてディアッカに殴りかかった。
それにディアッカは何がなんだかわからずにとりあえず避けた。シンは再び殴りかかろうとしたが、後ろからレイに抑えられた。
騒ぎにキラやアスラン、ニコルも集まってくる。
「何だ?どうしたんだ?ディアッカ、イザーク」
「わからん、いきなりこいつが殴りかかってきた。」
「てか、ヘリオポリスがなんとか・・・・・・」
イザークたちもよくわからずに首を傾げている。
事情を知るルナマリアとレイが痛ましそうに激昂するシンを見ていた。
「俺の妹はヘリオポリスにいたんだ!」
「!崩壊に巻き込まれた・・・・・・?」
キラはぽつり、と言った。
その言葉にシンは肯定するようにキラをきっと睨みつけた。
その瞬間、ディアッカがシンに頭を下げた。
「悪かった。あれは、俺が標準を誤った・・・・・・」
「ディアッカ!君のせいじゃない!___早く倒さなかった僕が悪い。」
「悪いというなら皆だ。たかが一機にあそこまでてこずった。」
ディアッカの謝罪にキラとイザークが追随する。
シンは順々に睨んだ後、拳を握った。けれど、その拳はどこにも下ろされることはなかった。
卑怯だ、と呟いてシンは格納庫を出て行った。
その後にレイとルナマリアが続く。
キラたちはその後を追うこともできず、ただ去っていく姿を見ることしかできなかった。
「くそっ」
シンは廊下を固く握った拳で殴った。
卑怯だ!!
あんなあっさり認めて!罪悪感いっぱいの顔をして!!
あれじゃあ責めている俺が悪役じゃないかよ!
卑怯だ!卑怯だ!!卑怯者!!
「シン!」
後ろからルナマリアとレイが気遣ってきたが、今のシンにはそれは余計に苛立ちを増すことになっただけだった。
自分だけが、納得できない子供のように思えてならない。
実際、家族を失ったシンをそのように思う者などいなかったが、シンにはそう見えた。
自分だけが喚いて、慰めて諌める彼らがまるで分別のつく大人に見えた。
「ほっとけよ。」
本心を隠せぬまま、シンは刺々しい物言いで言い放ち、そこから去っていった。
レイとルナマリアはそれを見送り、そっと互いに目を合わせてため息を吐いた。
家族を失っていない自分達に彼の痛みはわからない。慰めようにも、どうすればいいのかわからない。
苦しんでいる様を間近で見てきただけに、ただ何もできずに見ているのは辛かった。
「妹・・・・・・」
ぽつり、とキラが呟いた。
なんとも言えぬ沈黙が漂っていただけに、その呟きは皆に聞こえた。
キラはそのままゆっくりと格納庫を出て行く。
だが、他の皆は動けなかった。
あまりにも身近に自分達の犯した罪を責めるものがいる。
そのことで人を殺したということがまざまざと実感され、ショックを隠しきれずにいた。
「今更ながらに、自惚れていたのかもな・・・・・・」
「甘く考えすぎていた___」
ディアッカの呟きにイザークが対応する。
重々しい雰囲気はのしかかったままに一向に消える気配はない。
「あの、血のバレンタインを見て、何かしなくちゃって思って、軍に入りましたけど・・・・・・安易な思考だったんでしょうか。僕は・・・・・・」
ニコルは誰にともなく呟く。
アスランは眉根を寄せたまま、じっと床を見詰めていた。
キラは無重力の廊下を音もなく渡っていた。
(このことを隊長は知っていたのだろうか。
『噛み付く暇はなくなる』って・・・・・・)
『俺の妹はヘリオポリスにいたんだ!!』
燃え上がる炎の瞳。
確かな憎しみをその中に見た。
憎くて憎くて仕方ない。
そんな形。
やがてその顔はトールたちへと変わる。
『俺たちはあそこにいたんだぞ?!キラ!!』
『親友だと信じていたのに!!』
裏切ったといわれても仕方ない。
自分は確かに殺そうという意志はなくとも殺してしまう結果になった。
そういう結果になる可能性だって頭にあったはずだ。
けれど・・・・・・
*********
妹の死が確認されたと通報が入ったとき
独りになってしまった。
そう感じた。
なんだか胸の中はからっぽで涙は出なかった。
誰かに縋りたくて、けれどそんなみっともないマネは出来なくて。
ただ堪えた。
「許せる、わけがない。」
暗い部屋の中でシンは呟く。その手にはピンク色の携帯が握られていた。
妹が退院するまで持っているよ、と言って、いつでも持ち歩いていたものだった。
願掛けのようなものだ。
ずっと持っていたら、この思いが少しでも届いて、マユは早くよくなるのではないか。
そんなくだらないことを考えたりしていた。
けれど、そんなちっぽけな夢は現実という思い暗闇の中に消えた。
残ったのは妹の声が録音された金属の塊だけだった。
「マユ・・・・・・」
誰も、返事を返す者はいない
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05,1,19
あとがき
シンとキラ。次回はシンの思い出話(え)