目を見ろ、と奴は言った。
俺は震える手で、銃を受け取った。
怯えた瞳。
縋る瞳。
引け、と奴は言った。
俺は、目を見ることなど、出来なかった。
非情、それはときとして愛情
よく磨かれた床に零れた小さな湖が細い月を映していた。
その細い細い、闇に飲まれそうな月はまるで死神の鎌のようだ。
水を入れていたグラスの破片が散らばって、きらきらと月光を反射している。
暗い部屋でそれはただ唯一の希望に見えた。
その希望を掴もうと、白い腕が月光の下にさらされる。
腕の持ち主を見やればそれはまだ20にもいっていないだろう青年。
腕以上に顔を白くして、青年は床に両膝をつき、無心にその破片を掴もうとしていた。
「何してやがる。」
青年の手のひらに破片が納まった瞬間、闇の中から声が。
誰もいないはずの部屋にひっそりと、いまだ成長しきれていない少年が無表情に佇む。
その少年の顔を見て、青年は無意識に手のひらを握った。それは緊張だったかもしれない。
だが、次の瞬間、青年は眉を顰めてそっと手のひらを開いた。
破片が青年の手のひらを傷つけ、鮮血が手のひらを汚していた。
ぽたり、ぽたりとそれは床に跡を残し、白い月光がいやにその紅さを強調する。
青年はぼんやりとそれを見つめ、呟いた。
「無理だよ。」
「何がだ。」
少年は青年の様子を無表情に見ながら、面倒くさそうに問うた。
その顔には後悔も罪悪感も反省も労りさえもない。ただ、漆黒の瞳は青年の姿を映すだけだった。
「無理、なんだ・・・・・・」
雫となって落ちる血は下に広がっていた水と混じり、薄くなった。
雫が微かな音を立てて水と混じるたびに、そこに映った月はゆらり、と揺れた。
まるで泣いているかのように。
「俺・・・・・・だめなんだ・・・・・・」
「今更じゃねぇか。」
少年がそう言えば、ゆるゆると青年は首を振った。
色素の薄い、栗色の髪がその動作に合わせて踊った。
「違う・・・・・・」
ぴくり、と少年の片方の眉が動き、いやにゆったりとした動作で少年は闇から抜け出して、その姿を月下に現す。
けれど、青年の瞳はそちらに移されることなく、床に映る月を眺めていた。
正確には、血によって揺れる月を。
「・・・・・・怖いんだ・・・・・・」
揺れる月に負けないくらいの、頼りない声で青年は言った。
だん、と両手をガラスの散る床につける。
それは日本でいう土下座の姿勢に近い。
「でき・・・・・・ない・・・・・・俺には・・・・・・」
手をついた瞬間にガラスで切れた箇所がじわりじわりと血を流し始める。
青年はうつむいたまま、じっと自分の影でもはや月も映らない零れた水を見ていた。
「顔を上げろ。」
少年は命じる。
まだ幼さを帯びる少年のどこから出たのか、その声はひどく鋭く、抗議を許さない威圧感に溢れている。
だが、青年は顔を上げはしなかった。
闇と同じ色を有した革靴が、くい、と青年の顔を上げさせる。青年はそれに逆らう気もなく、顔は月光にさらされた。
視線を合わせれば、自然と両方の顔が見えるわけで、青年は正面に漆黒の少年を見る。
「まだ大丈夫じゃねぇか。」
何を馬鹿なことをほざいている、と12歳も年下の家庭教師は暴言を吐く。
その言葉に力のなかった青年の鳶色の瞳が見開かれる。
「大丈夫だって・・・・・・?」
わなわなと震え始めた体は寒さのせいでも恐怖のせいでもなく、
「何が大丈夫だって言うんだ?!
えぇ?!一体俺のどこが大丈夫なんだよっっ!!
覚悟してっお前のめちゃくちゃな訓練受けてっっ____っそう、覚悟したんだっ!!
なのにっっなのにっっっ」
宙に飛び散る血の紅さが忘れられない。
色を失った瞳をまだ覚えている。
慣れていたはずの銃がいやによそよそしい。
自分が、何か別のものに変貌してしまったような、衝撃。
「他人を傷つけることを覚悟したはずだった。
殺す、ことも______」
想像よりもはるかに重いもの。
はるかに、惨たらしいもの。
目を背けずにはいられなかった。
「ボスであるお前が始末つけなきゃあ示しがつかねぇこともあるからな。」
青年に社交辞令から銃の扱いまで教え込んだ家庭教師は熱を含まない声で何事もないかのように言う。
青年はそんな少年を睨みつけた。
「お前には感情がないのかよっっ
人一人殺すのがっそんなっっ____っなんでもないみたいにっ」
「俺はイタリア一の殺し屋だぞ?」
何を今更、少年の漆黒の瞳はそう語る。
けれど、その現場を見たことのない青年は詰ることをやめようとしない。
「だからってっっなんで平気で殺せるんだっっっ
相手は生きてるんだぞ?!動けて、会話して、笑って____っっいくら、いくらマフィアでも・・・・・・死ぬのが、怖くないわけ、ない・・・・・・」
怖い。
怖い。
深い闇に囚われてしまいそうになる。
白い虚構に身をうずめてしまいたくなる。
初めて傷つけたときの体の震えさえ、人を殺した今は懐かしい。
この手が、なくなってしまえばいい。
戻りたい。
戻りたい。戻りたい。
戻れない。
人を殺した手で、ここ以外のどこに戻れるというのだろう。
「俺は平気で殺せる。
お前には平気で殺せない。
だから、ドンになるのは無理だってのか?」
「そ、そうだよ・・・・・・お前は、だって、そう言ってたじゃないか、さっき。」
いつの間にか少年の靴は青年の顎から離されていたが、青年は気づかずに睨みつけた。
ふん、と見下ろす少年は鼻で笑う。
「解釈を間違うな。
別に俺は殺しに平気になれとは言ってない。
ただ、殺しが必要なときがある。そしてそのときお前は部下の前なんだから情けねぇ面はやめろって言ったんだ。
別に平気になる必要はない。
お前は俺と違って殺し屋ってわけじゃないんだからな。」
「・・・・・・リボーン・・・・・・でも、俺は・・・・・・」
「帰さねぇぞ、今更。
お前は俺と約束しただろうが。ボスになるってな。」
「・・・・・・」
青年はうなだれる。
少年は笑った。
「叫んでも喚いても何でもすればいい。
ここは完全な密室で、防音効果完備だからな。迷惑にはならねぇぞ。」
「・・・・・・最低だ、お前。」
ぽつりと呟いた青年の腹を少年のつま先が抉った。
その力は青年を軽く数メートル吹き飛ばす。
「ぐぅっ___っっ」
吹き飛ばされ、床に這いつくばった青年を少年は片膝をついて、胸倉を掴み上げる。
青年は腹を片手で押さえつつも、少年を睨みつけた。
少年は青年のもう片方の手をとり、手のひらの傷ついた箇所を爪でぐい、と広げた。
「____っっい゛っぁ゛っ」
腹を押さえていた手で少年の手を止めようとしたが、本調子でない上に少年の方が力が強いため、歯が立たない。
ぐりぐりと傷口を広げられることで、固まりかけていた血が一気にまた溢れ、手を伝ってシャツを汚す。
片方を思う存分いじった後、もう片方をもまた傷口を開かせる。これにはさすがにたまらない。
「痛いっ痛っ____っあぁあ゛!
痛いってこの馬鹿っ!アホ!冷血漢!変態っっ!!」
「うるせぇ。黙ってろ。」
「痛い痛い痛いっ抉るなっ
やめっリボーっっ痛っっこの____っ」
青年はもうなりふりかまわずにめちゃくちゃに暴れだす。
痛みに頬に涙が零れたがお構いなしだ。
ぱ、と少年が手を離すと、引っ張っていた反動で、後ろへとひっくり返る。
ごんん、と音がして、少年はやれやれ、と肩をすくめた。
「っなんだよっリボーンの馬鹿っまぬけっ変態っサドっ
お前なんかに俺の気持ちがわかるかよっっ
俺はっっ俺はっ覚悟したのに____っ怖くてっ怖くて___っお前っ約束守れないしっ俺はっ人殺したしっっもう、戻れないっっ___っっあぁああああああっ」
「戻りたいのか。」
少年は静かに聞いた。
青年は恥も外見もなく、床に仰向けになって、喚く。
顔は手のひらに覆われて見えない。
「当たり前だっ!俺を戻せよっどうしてっなんでっっ
いやだっっもう_____っっ俺が変わっていってしまう!!」
少年はそこで珍しく目を見開いた。
青年は気づかない。うめきとも泣き声ともつかぬ音を口から漏らすだけだ。
「お前は変わらない。」
先ほどまでとは違う、少し温かみを帯びた声が少年の口から紡がれた。
青年は手のひらを目の上から少しずらし、額にはりついた前髪の間からじっと少年を見た。
「だから、大丈夫だと言っただろうが。
そうして、殺しを怖がるのがお前だ。変わってないだろうが。
だが、人間には慣れというものがある。お前にもいつか慣れるときがくる。俺はそれでいいと思うが、お前がそのときが怖いというなら、俺が思い出させてやる。今日のことを。」
どこから出してきたのか、少年は真っ白な包帯を手に持ち、青年の血まみれの手のひらに丁寧に巻きつけ始めた。
それを青年は呆然と見つめる。
器用に動く手と、それをやはり無表情に見つめる少年の顔を交互に見やる。
巻き終わった少年が青年の視線に合わせてにやりと笑った。
「ひでぇ顔だ。
まったく見苦しいったらねぇな。」
「なっ___っっ」
「部下にそんな顔見せんじゃねーぞ、ツナ。」
ぐい、とまだ柔らかく少し小さい手がツナの頬に流れるものを拭った。
“叫んでも喚いても何でもすればいい。
ここは完全に密室で、防音効果完備だからな。迷惑にはならねぇぞ。“
「リボーン・・・・・・お前、もしかして・・・・・・」
気を使ったのか?
煽って、喚かせて、泣かせて_____
慰めの言葉なんてたった一節ぐらいしか聞いていないのに・・・・・・
そういえば、とツナは思う。
手のひらを抉ったのもガラスの破片を取り除いていたからではないか。
もう少しやり方があるといえば、あるが、随分と彼らしい気がした。
「だからって俺に縋るなよ。うぜぇからな。」
ぷい、と横を向いた彼はどこか年相応に見えて、ツナはひっそりと笑った。
もちろん、人の気配に敏感な殺し屋はすぐに気づいたが。
05.5.12
あとがき
なんか書こうとしたのと随分違う気が・・・・・・まあ、いいか。
リボをもう少しかっこよく書きたかったし、シリアスなのに少しギャグめいていた気がするし・・・・・・ツナの性格もちょっと違う気が・・・・・・;;
ボスになって初めて人を殺した編。
大体ツナ19歳リボ7歳です。
私はツナ18で高校卒業と同時にイタリアに行って、マフィアになったかと。あ、でも大学はどうなんでしょう。行かないのか?1年でスキップで終わりかな??