固く結んだはずの縄はいとも簡単に解けて
君が彷徨う、醜く争うこの世界と
命をかけて戦う仲間たちの残酷な世界は
まるでそう、鏡の世界のように近く
決して届かない月の世界のように遠く
鏡裏
古く、どこもかしこもがぎしぎしと音を鳴らす木造家屋の一端。
もう深夜を回ったというのに、月も星も出ていない夜空を見上げる青年がいた。
広い家屋には他にも人が多く住んでいるだろうに、起きているのは青年ただ一人のようだ。
光を浴びれば輝く銀色の髪が、今は空を覆う雲と同じような鉛色の髪に見える。
ぼんやりと空を見つめる瞳は濁ったワインのように赤黒い。
だらしくなく縁側にあぐらを崩した形で座る青年の、だらしなく開いた口から言葉が零れる。
「あれから1年か。」
松陽が殺され、塾はもちろん解散し、ばらばらに散った銀時たちはすぐに攘夷戦争で合間見えた。
それから1年。
天人の根付いた幕府は一向に反逆のそぶりも見せず、攘夷志士たちの撲滅を目指している。
銀時のいた部隊はもといた人間は半分以下に減り、新しく若い人間たちによってその穴は埋められている。
その穴はもはや広がっていくばかりだと、銀時はふと先程の戦闘を思い出す。
抑えては溢れてくる攘夷志士の決起に、それを根絶やしにしようと天人はゲリラのアジトを見つけ出すのに必死だ。そのため、最近は安全地帯のはずの寝床も一瞬で戦場になるケースが増えてきている。
先程の戦闘も、ふた山越えたさらに向こうの志士がわざわざ助けを呼びにきた。馬で駆けつけてみればもはや半壊状態で、中のけが人を庇いながらの後退戦を強いられた。不意の襲撃だったらしく、天人の方にはまったく損害を与えられておらず、悔しそうに泣く志士らを銀時は見たのだった。
「どんどん、零れ落ちていくなぁ・・・・・・」
ふと翳した手を握って、呟く。
それから、先程からぎしりぎしりと近づいてくる音の方を見上げた。
「なんだ、眠れないの?晋ちゃん。」
ふざけてあだ名を呼んでみるが、相手の反応はない。
いぶかしんで黒い前髪のかぶさった顔を下から覗いてみるが、やはりその表情は見えない。
何故かざわりと肌が逆立ち、銀時は慎重に聞いてみる。
「高杉?」
「・・・・・・とき?」
高杉が呟いたかと耳を澄ませた瞬間、今まで覗いていた表情がすぐ近くに現れた。
胸倉をつかみ、無表情で瞳だけをぎらぎらさせながら高杉は銀時を睨む。
そうして苦しそうな声で呟くように言った。
「先生が、いねぇ。」
その言葉に銀時の瞳は大きく開かれ、そうして痛ましそうに閉じられる。
「高杉、松陽はもういねぇよ。死ん___」
その先の言葉は高杉の掌に収まった。
高杉はその瞳を大きく開き、じっと銀時を見つめている。
銀時には高杉が何の言葉を期待しているかわかったが、そんなことは言えるはずもなかった。
焦れた高杉の手が強く銀時の顎や頬を掴んだが、銀時は何も言わないでただ黙っていた。
その態度に焦点の合わない目で高杉が両手で胸倉を掴み、怒鳴った。
「なんとか、言え___っっっ」
今度は高杉の口元が銀時の掌に収まる。
「大声出すな。皆起きちまうだろうが。」
「てめぇっっ」
高杉の手が握られ、空中に振りかぶられた。
咄嗟に銀時は高杉を足払いをして倒し、さらに受身の取れないであろう高杉を手で引っ張りあげて衝撃を減らす。
そのおかげで部屋には軽い風圧と僅かな物音だけが響いた。
「ったく。血の気の多い奴だな。」
ため息をついて銀時は高杉を見下ろすが、高杉は片方の着物を握られたまま俯いている。
暗がりのせいでその表情は読めなかったが、着物を握っている手を伝わって震えていることがわかった。
「・・・・・・嘘、だ」
銀時の瞳が細められる。
先程まで濁った色をしていたそれは今は海よりも深い色を帯びている。
何を、今更
1年も経って
何を、今更
握っていた着物の裾から伸びた手に、逆に胸元の襟を掴まれた。
その手がそれから胸元の着物を左右に広げようと、帯を解こうと、それから、冷たかろうと。
銀時はただ深みを帯びた瞳でそれを黙って見ていた。
着物と、畳に染みる雫の答えを知るが故に。
07.09.02